子どもの「得意」「苦手」は、白と黒には分けられない

坂本七郎

坂本七郎

テストの答案や通知表を見た瞬間、私たちは頭の中で小さなラベルを作ります。「うちの子は算数が苦手」「どちらかというと文系」。学習相談の場でも、この種の言葉はほとんど枕詞のように出てきます。今日は、この「得意・苦手のラベル」を一度外してみませんか、というお話をします。

なぜ「うちの子は算数が苦手」と決めたくなるのでしょうか?

それは親の見方が偏っているからではなく、子どもを見る場面の多くに「白黒のつきやすい物差し」が置かれているからだと、私は考えています。

テストは点数が出ます。通知表は段階で評価されます。模試を受ければ偏差値と判定が返ってきます。勉強は、すべての子どもが取り組むことを求められ、しかも数字で測られやすい、少し特別な分野です。

数字はとても便利です。便利なのですが、割り切れてしまう。80点と45点が並ぶと、「得意」と「苦手」の箱がすっと用意されて、私たちはそこに子どもを入れたくなります。名前を付けると、分からなかったものに説明がついて、少し安心できるからです。

私自身、一人の父親として、その気持ちはよく分かります。ラベルを貼ってしまうのは、怠慢でも愛情不足でもありません。ただ、そのラベルが実際の子どもの姿と合っているかどうかは、別の問題です。

ラベルそのものが悪いわけではありません

問題は、ラベルが「今のところの仮の名前」ではなく「決定事項」になってしまうことです。仮の名前なら貼り替えられますが、決定事項は子どもの選択肢を先回りして狭めていきます。

得意・苦手は、本当に白と黒に分かれているのでしょうか?

私の実感では、分かれていません。私はこれまで5,000人以上の学習相談に関わってきましたが、その中で確信していることがあります。子どもの得意・苦手は白と黒ではなく、グラデーションになっている、ということです。

「算数が苦手」と言われて相談に来た子の中身を、一段細かく見てみます。すると、計算の速さと正確さでは確かに手こずっているけれど、図形の問題になると目の色が変わる子がいます。文章題の意味を取るところだけで止まっていて、式さえ立てば解ける子もいます。逆に「国語が得意」とされている子が、物語文は楽しめるのに、説明文になると急に読み飛ばしてしまうこともあります。

教科という大きなくくりでは白か黒かに見えたものが、単元や作業のレベルまで下りていくと、濃いところと薄いところが入り混じった一枚の模様に変わります。「算数が苦手な子」がいるのではなく、「算数の中に、その子だけの濃淡の模様を持った子」がいる。私にはそう見えています。

しかも、この濃淡は動きます。昨日まで嫌がっていた音読を、学校で褒められた翌日から自分で始めた、という話は珍しくありません。学年が上がって抽象的な内容が増えたとたんに得意だった教科でつまずくことも、その逆もあります。子どもの中の得意・苦手の地図は、大人が思うよりずっと頻繁に描き替わっているのです。

そして、この模様は出会う先生や教材、やり方によっても変わります。以前、「うちの子は漢字が苦手」と決める前に——「できない」の正体はやり方かもしれない、という記事を書きました。あそこでお伝えしたことも、実は今日の話の一部です。苦手に見えていた濃い部分が、方法ひとつで薄くなっていく場面を、私は何度も見てきました。

「苦手」の正体が「まだ合うやり方に出会っていないだけ」だったということが、本当に多いのです。

貼られたラベルは、子どもをどう変えてしまうのでしょうか?

いちばん心配なのは、ラベルが「今の説明」を超えて、「未来の予言」として働き始めることです。

親が「うちの子は文系」と思い定めると、理系の選択肢は検討の土俵に上がる前に消えていきます。もっと影響が大きいのは、子ども自身がそのラベルを信じたときです。「自分は算数ができない」と思っている子は、算数に手を出さなくなります。やらないから伸びず、伸びないからラベルがさらに強くなる。ラベルが現実を作っていく、逆向きの循環です。

子どもは、大人が思っている以上に、親の何気ない一言をよく聞いています。「この子は本当に数字がだめで」と誰かに話しているのを隣で聞いていた子は、その言葉を自分の定義として持ち帰ります。

誤解しないでいただきたいのですが、これは「ネガティブなことを言ってはいけない」という話ではありません。事実の観察と、その子自身への決めつけを分けましょう、という話です。「今回の計算問題は半分間違えた」は観察です。「うちの子は算数が苦手」は決めつけです。観察は次の一手につながりますが、決めつけは可能性の幅を狭めます。

では、どう見ればいいのでしょうか?——ラベルの代わりになる3つの見方

ラベルを外したあとの見方として、私がおすすめしたいことは3つあります。

  • 1一段細かく見る——「算数が苦手」で止めず、「どの単元の、どの作業で手が止まるのか」まで下りてみます。細かく見るほど白黒はほどけて濃淡になり、手の打ちどころが見えてきます。
  • 2「今は」を付けて話す——「漢字が苦手」ではなく「今は漢字に苦手意識がある」。濃淡は時期ややり方で動くもの、という前提が、この二文字に含まれています。
  • 3勉強以外の物差しを一つ持つ——好きなこと・得意なことで得た自信は、「勉強もやればできるかもしれない」という感覚につながり、学習にもよい循環を生みます。この考え方は「いちばんの自分になる」という、私の教育観の出発点を書いた記事に詳しくまとめています。

まとめ——ラベルの下の濃淡を、見にいく

この先、テストの結果や通知表を見る機会があったら、「できる」「できない」のラベルを一旦脇に置いて、こう眺めてみてください。この子のグラデーションは、いま、どんな模様をしているだろう、と。

濃いところは、責める場所ではなく、やり方を変えてみる場所です。薄いところは、自信の芽が出ている場所です。そして比べる相手は、隣の子ではなく、少し前のその子自身です。

学力が伸びない子はいない。やり方をまだ知らないだけ——長く学習相談を続けてきて、私はこの確信を強くしています。白と黒のあいだには、その子だけの豊かな濃淡が広がっています。ラベルで塗りつぶしてしまうには、少しもったいない景色だと私は思うのです。

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